※湘南ライナー・おはようライナー新宿・ホームライナー小田原 時刻表 はこちら(令和2年3月14日改正まで)
※「きしゃにちゅうい」-- 「汽車」の描かれた「踏切注意」の標識 --
2005-04-16(Sat) 小田原遠足 この日を編集
_ 長男の保育園の遠足で小田原に行ってきた。
次男出産の直後でもあり欠席の予定だったのだが、妻も次男も落ち着いているので「せっかくだからパパといってらっしゃい」ということになった。
が、そこは鉄道好き親子。以下には[Rail]トピックが連なる。
_ [踏切][Rail][misc] 小田原城址公園の「きしゃにちゅうい」
Toru Ishida's homePage - TIP! 開始以来のコンテンツに「きしゃにちゅうい」がある。 蒸気機関車の描かれた「踏切あり」の道路標識を集めて公開しているのだが、小田原城址公園こども遊園地を走る豆汽車の踏切にもこのタイプの標識を発見。昨年まではなかったので、貴重な「新設」である。よいこのみんな、この踏切には間違いなく「汽車」が来るんだよ。(電動だけどね)(5/31追記:D52は戦時中に東海道/山陽本線の輸送力増強を目的に作られた機関車で、この豆汽車のモデルD52 72は御殿場線電化時のSLさよなら運転をつとめるなど最後まで国府津機関区に残った、この地域にゆかりのある機関車ということでした。なお、同機の実車は御殿場の湯沢平公園に静態保存されている。)
_ [Rail][Home] ついに小田急VSEに乗車!
小田原からの帰りは、時刻をうまく合わせて親子で小田急VSEの実車を見ようと思っていた。駅には少し早く着いたので駅員氏に聞いてみると、とても取れないと思っていたVSE使用列車、スーパーはこね28号の席が空いているという。ただし小田原〜新宿。茅ヶ崎に帰るには相当な大回りだが、その場で乗車を決めた。長男は3歳だが、ここはきちんと一座席を確保。券売機で買った切符は5号車だったが、案内をしていた駅員氏が「先頭車両が空いていないか窓口で聞いてみましょう」と気を利かせてくれて、なんと新宿方先頭車10号車に親子並んで乗ることができた。
初めて乗ったVSEだが、その乗り心地のよかったこと! 毎日湘南ライナー・ホームライナーでJRの特急車両(185系、251系、E351系、E257系)に乗っているが、VSEの乗り心地は間違いなくそれらに勝っていた。月並みな表現だが、本当にすべるような走りだ。連接構造や車体傾斜システムなどの車両側の工夫によるものなのか、小田急の線路状態によるものなのかは分からない。
車内ではアイスクリームを食べたり(ほとんど全部子供に食われた)、シートサービスでVSE弁当を頼んだりとまぁ小田急の策略にはまりっぱなし。それでも飽き足らず売店のある車両まで親子で「探検」に出て、買うつもりもなかったのにVSEチョロQを買ってしまう。
そんな興奮冷めやらぬうちに新宿着。本当に「もっと乗っていたい」と思った。 展望席の乗客も同じ思いらしくなかなか降りない。が、これで困っている人が一人いた。二階運転席の運転士さんである。運転室から降りるステップを出すと展望席からの通路をさえぎってしまうことになるので、インターホンで「運転室のドアを開けるとお降りになれません」と繰り返しアナウンスしていた。次の列車の準備もあるだろうし、これは思わぬ「欠点」かもしれない。
新宿駅ホームでは降りたお客さんと列車待ちのお客さん入り混じっての大撮影会。他の電車を待っていた人もおっ、という感じで見に来てしまうのだから、VSEはまさしく小田急のスターだ。ホームにはVSE関連の展示ボードが貼り出され雰囲気を一層盛り上げているが、このボードがオレンジのため写真に写ったVSEが反射で少しオレンジに染まってしまうのはまぁ仕方がないか。
今回のVSE乗車では小田急の社員の対応のよさがとても目立った。先頭車を手配してくれた小田原の案内係の人、「ぼく、かわいいからこれあげるね」と、残りわずかになったVSEステッカーを息子にこっそりくれた車内販売のお姉さん、何も言わないのに察して「記念にお持ち帰りになりますか」と切符に無効印を押してくれた新宿駅の改札係の人、ありがとう。
私はこれですっかりVSEファン、いや小田急ファンになりました。
2006-04-16(Sun) この日を編集
_ [Home][Rail] ママと長男、HiSEの回送を目撃する
お出かけから帰ってきた長男が、「HiSEを見た!」と報告してくれた。横浜から帰ってくる途中、小田急10000形HiSEがJRの線路を走っていたのだと言う。しかも、「黒い機関車が押してた!」とも。おそらく長野電鉄に譲渡されるHiSE[nagaden-net.co.jp]の回送だということはすぐわかったのだが、「黒い機関車」がわからない。一緒に目撃した妻によると、「黒い機関車」はとても小さく、他の電気機関車や電車よりずっと小さかったらしい。それが「HiSEを押していた」というのだからわからないのだが、ふとあることに思い至った。
翌日、車掌車「ヨ8000」の画像を見せてこれか?と訊いてみた。ふたりともいまひとつピンと来ない顔をする。それでは、と小田急情報館[s60.xrea.com]の画像掲示板からHiSEの回送画像を探して見せてみるとやっと納得した。
私の世代には当たり前だった「車掌車」はすでに非常に珍しいものになってしまい、妻や長男には「見たこともない不思議な車両」としか思えなかったわけだ。色が黒く無骨なスタイルを見て、機関車だと思ってしまったらしい。妻も長男も本当の牽引機は見なかったようだが、先の掲示板によるとJR貨物の試験塗装を施されたEF651059だったようだ。妻が「大船のあたりには写真を撮ろうとしている人がたくさん待っていたよ」と話していたが、HiSEにEF651059では確かに大騒ぎだっただろう。
_ [Home][Rail] 家庭内「鉄」教育
今回の件でちょっと驚いたのが、妻も長男もすぐ「HiSEだ!」と反応したことだ。長男はともかく、妻の口から「HiSE」なんて言葉を聞くとは思わなかった。
これには理由がある。
長男はすでに相当鉄道好きなので、鉄道のビデオ(今はDVDやレコーダーだが)を何度も何度も見る。これに付き合わされる妻もいつの間にか詳しくなってしまったと言うわけだ。
へへへ、この流れが続けば一家そろって鉄分が濃くなるな。
ところが。
先の小田急情報館の掲示板のコメントを読みながら妻が言うには、
「『HiSEが最後の最後に小田原を通るのが感動的』って書いてあるけど、どうして?」
「『4両のHiSEが衝撃的』って、どうして衝撃的なの?」
小田急の看板特急列車として堂々の11連車体で新宿と箱根を結んでいたHiSEが、想定より早く退役して他社に譲渡されるための回送の途中、かつての活躍の場であった小田原をたった4連で通過していく。感慨深いものがあるだろう?と説明したが、わかってもらえなかったようだ。
いまのところ夫婦仲は良好だが、こと「鉄」に関してはまだまだ溝が深いようだ。
2008-04-16(Wed) この日を編集
_ [misc][Rail] 駅そば風味
「おでん缶」「ラーメン缶」のそばバージョン「駅そば風味(関東版)」(\300)。東京駅ホームのNewdaysにも並んでいたので、話の種に買って食べてみた。感想:糸こんにゃく。
こんにゃくなので腹持ちだけはいい。いろんな意味でもうおなかいっぱいです。さらにこんにゃくなので低カロリー、というかほとんど消化されない。味はともかく低カロリーで満腹感だけ欲しい人にはいいのかもしれないが、私はダイエットの必要がないので今後は遠慮したい。
風味、ではない「本物」の駅そばは昔から結構うまい店が多かったりする。変わったところでは、長万部駅には車内に持ち込める「盛りそば」の駅弁があった。掛けそばは至るところにあるが駅そばで折に入った盛りそば全国的にも珍しかったという。知る人ぞ知る、と言う感じのうまいそばだったのだが、今ではコンビニで普通にざるそばを売っているのでその後どうなったかはわからない。
2011-04-16(Sat) この日を編集
_ [Home] 鯉のぼりを出した
気がつけば4月も中旬になっていたので、鯉のぼりを出した。この日は風が強かったので、竿にあげるとすぐにかなり勢いよく泳いだ。3月はいろいろあったが、きれいに晴れた青空をバックに鯉のぼりが泳ぐ姿を見ているとこころが和んだ。見ての通りわが家の鯉のぼりは一般的な鯉のぼりではない。岡本太郎デザインの太郎鯉。初めて見た人は結構驚くようだが、岡本太郎らしい大きな目玉がなかなかかわいらしいし、形もただの筒ではなくちゃんと本当の魚の形になっていて背びれもある。外に出しっぱなしで雨や日光にさらされ続けたので随分褪せたとは言え、あざやかな色彩は春の青空によく映える。次男が生まれたときにはミニ鯉を一匹買い足したほど、家族のお気に入りである。同梱の説明書にあった岡本太郎のコメントには、こどもの日に限らずおめでたい日などに出してはどうかといったことが書かれていたが、今年は震災による暗い気持ちを吹き飛ばすためにも、自粛するどころかあちこちで鯉のぼりが元気にどんどん泳いで欲しいものだ。
ちなみに今年は岡本太郎生誕100周年でもある。
_ [踏切][Rail] きしゃにちゅうい:横浜線小野路街道踏切/京王線北野5号踏切
GoogleStreetViewで相模線沿線に汽車の「踏切あり」警戒標識(207A)がないか探していて見つけた。ただし相模線ではなく、八王子駅の手前の横浜線であるが。StreetViewで見ると踏切から少し離れたところで、民家の前に道路と平行に立っている。少し痛んでもいるようだ。これまでの経験上、こういう状況にある標識は新しいものに取り換えられたり、民家の新築などに伴って撤去されることがよくあるので、早めに現地を確認したかった。八王子なので少し遠いが休日に相模線で、と思っていた矢先に震災。その後相模線が復旧し落ち着いてきたのでやっとこの日の現地確認に至った。
実際に現地に立つと、StreetViewで見たのと同じく道路と平行に、傷ついたままで標識が立っていた。撮影時期の違いのためか、民家の庭木の葉がStreetViewで見たものより茂っていて少しまわりの印象が違う。標識のあるところから踏切までは見通せる距離で、さほど近くも遠くもない微妙な距離。ただ、道路はこの先でほんの少し曲がっており、電車が走っていないと踏切があることに気付かないかもしれない。近くを探したが他に踏切ありの標識はなく、この標識が現役のようだ。この標識から先に進むと、横浜線小野路街道踏切と京王線北野5号踏切の順に線路を渡る。踏切の反対側は道路が線路と並走しているためか標識はない。
どういう目に遭ったのかは分からないが、この標識は右角と下が少し折れて錆びている。全体的に汚れて古びた感じもする。標識設置者を示すステッカーがはがれていたが、はがれず残っていた部分の文字の断片から推測すると八王子市設置らしい。
_ [踏切][Rail] きしゃにちゅうい:京王線北野6号踏切
汽車の標識(207A)探しは、一つ見つけたら反対側と近隣の踏切もできるだけチェックしておきたい。StreetViewデータが撮影されていない隣の踏切にも足を伸ばしてみる。ひとつ八王子寄りの京王線北野6号踏切は、東側は道路が並走しており標識なし。渡った反対側はすぐのところに築堤になった上を走る横浜線があり、ここにも標識を設置する余地はない。ところが、その横浜線のガード(横浜線(51)北野ガード)をくぐったところに、汽車の標識(207A)がたっていた。これは危うく見逃すところだったので、丹念に足を運んだ甲斐があったといえよう。この角度から見ると踏切が見えにくいだけに、この標識は立派に役に立っている。とはいえ、踏切ではなくガードの手前に立っている「踏切あり」標識というのもちょっとユーモラスだ。まわりは住宅が立て込んでいてやや雑然としているが、築堤の法面一面に菜の花が咲いていたのが印象的。標識自体は目立った傷もなく先ほどの横浜線小野路街道踏切/京王線北野5号踏切のものより古さを感じさせなかったが、設置者を示すステッカーなどはなかった。
反対側、横浜線のガード下から見るとこんな感じ。標識の下に見える看板がなんとも。